古典に立ち返ったあの日
私が10歳の時に、享年45で亡くした父は本当に読書家でした。
父の書斎は文字通り本だらけでしたが、それでも私が目にしたのは相当な量の本を処分した後の姿だったそうです。
そんな父から勧められ、5歳にして読み始めたのが『論語』です。
当時は意味も分からず、ただ読んで声に出していただけだったかもしれません。
それでも、父の教育のおかげで、古典は私にとって身近な存在でした。
ですが月日が過ぎ、小中高大と卒業して社会人になってからは、ずっと自分の外側を見てきた気がします。
締め切り、評価、組織の論理、誰かの期待。
気付けば自分の内側に目を向ける時間が、どこかに消えていました。
転機は40歳でのグロービス経営大学院への入学。
仲間と切磋琢磨しながら「人生における志」というものを初めて真剣に考えた日々。
そこからコーチングと出会い、内省の習慣が少しずつ育っていきました。
そして45歳を迎え、父の年齢を超えようとしたまさにその時、「ここから先は、父が見たくても見られなかった世界だ」と感じた瞬間、自分が生きる道を内側の奥深くに問い直したくなりました。
コーチに自省録を薦められた時、それは必然の流れだと感じて、すぐに手に取ってみました。
自省録とは何か?

自省録とは、今から約1,900年前、時のローマ皇帝であったマルクス・アウレリウスが書き記した日記です。
出版を意図したものではありません。
マルコマンニ戦争(※162年から始まったローマ帝国の北方国境で発生した戦争の総称)の戦場で、誰に見せるわけでもなく書き続けた、内なる対話の記録です。
戦いの最中でマルクス・アウレリウスは病没してしまうのですが、そんな極限の状態で書き記した日記ゆえの特徴があります。
同じテーマが何度も繰り返し登場するのです。
「外側に惑わされるな」
「内を見よ」
「今この瞬間に集中せよ」
繰り返すということは、それだけ彼自身が何度も揺れ、その度に自分を立て直すために書き記した想いだったのでしょう。
完璧な皇帝の言葉ではなく、1人の人間として葛藤し続けた記録。
そこに、私は深くリアリティを感じました。
では、その著者マルクス・アウレリウスとは何者か。
西暦121年に生まれ、161年から180年までローマ帝国を統治した「五賢帝」の一人です。
五賢帝とは、ローマが最も繁栄した時代を築いた5人の皇帝のことであり、その最後の一人が彼でした。
他の皇帝と決定的に違うのは、哲学を統治に活かした点です。
だから「哲人皇帝」と呼ばれます。
ストア派の哲学を学び、実践し続けた人物でした。
ストア哲学を一言で言えば、理性を持つことで人生の困難を乗り越え、徳を追求し正しく生きることが最高の幸福であるという思想です。
外側の出来事に振り回されるのではなく、内側の理性と向き合い続ける。
それがストア哲学の核心です。
最高権力者が、最も過酷な状況で、それでも内を見続けた。
その事実が、1,900年後の私の魂を震わせました。
魂が震えた言葉を厳選してご紹介
自省録を読み進める中で、何度も手が止まりました。
3つの言葉を、ここに記しておきます。
① 宇宙即変化。人生即主観。
変化は止められない。
それは2000年前も今も変わらない真実です。
そして人生は、その変化をどう観測するかによって決まる。
同じ出来事でも、どう見るかは自分が決める。
マルクス・アウレリウスは、それを皇帝として、戦場で、実践し続けていました。
② 内にこそ善の泉がある
外側がどれだけ荒れていても、内側の泉は枯れない。
それを信じて掘り続けることが、人間の本質的な営みだと彼は言います。
承認、評価、結果。外側に善を求め続けると、泉はいつまでも見つかりません。
③ 自己の主権
誰も、あなたの内側(=魂)を侵すことはできない。
環境は変えられなくても、内側の主権は常に自分にある。
これは強がりではありません。
観測する自分を持つことが、最後の自由だということです。
この「自己の主権」という言葉と響き合う詩があります。
ネルソン・マンデラが27年間の獄中生活の心の支えとした、詩「インビクタス」です。その最後の一節にこうあります。
「私が我が運命の支配者、私が我が魂の指揮官なのだ。」
時代も国も違う。
しかし1,900年前のローマ皇帝と、20世紀の南アフリカの闘士が、同じ場所に辿り着いていた。
己の主権とは、強がりではありません。
観測する自分を持つことが、最後の自由だということです。
Inner Architectureとの一致
VUCAの時代と言われて、久しくなりました。
・Volatility(変動性)
・Uncertainty(不確実性)
・Complexity(複雑性)
・Ambiguity(曖昧性)
変化が激しく、先が見通せない。
それは今や、論を俟ちません。
そんな時代に、1,900年前の皇帝が書き残したこの一言。
「宇宙即変化。人生即主観。」
変化は止められない。
でも、それをどう観測するかは、自分が決める。
まさに、今の時代にも深く刺さる一言ではないでしょうか。
これは「解釈を変えましょう」という話ではありません。
解釈する前に、ラベルを貼るのをやめる。
コップの水を見て「半分しかない」でも「半分もある」でもなく、ただ水があると観測する。
ただ観測すること、そこから始まります。
私がコーチングで大切にしている「Inner Architecture(内なる設計)」の核心は、まさにここにあります。
外側に振り回されるのではなく、内側の設計を整える。
削ぎ落とした先に、本来の自分が還ってくる。
1,900年前のローマ皇帝が、すでにその答えを持っていました。
この教えをどう活かすべきか?

どんなに胸を打つ言葉であっても、それが実践に移されなければ宝の持ち腐れです。
では、この言葉を現代に生きる私たちがどのように活かすべきか?
私はまず、内側を観測することから始めることだと思っています。
あなたの感情が揺れ動いた時、喜怒哀楽のどれでも結構です。
「私は何を感じたか?」をありのまま観測する。
怒った私は×で、喜んだ私は○、という風にラベルを貼る必要は全くありません。
素直に観測するだけです。
とはいえ、人間は感情の生き物ですから、ラベルを貼ることなく、即ち良い/悪いのジャッジを挟むことなく、ただ観測することは意外と難しいものです。
それに、きっかけがなければ、慌ただしい日常にまた流されてしまうかもしれません。
決してあなたが悪いわけではなく、外側からの刺激は、常にそれだけ強いのです。
締め切り、通知、誰かの期待。
気付けばまた、内側を見る隙間がなくなっていく。
もし少しでも「内側を見るための環境に身を置きたい」と思ったなら、ぜひメルマガに登録してみてください。
内側を観測する習慣を、一緒に育てていきましょう。
橋爪 慶明|Inner Architectureコーチ
住友電気工業で23年間勤務後、47歳で独立。 グロービス経営大学院を首席(1,000名中1位)で卒業。 Inner Architecure(削ぎ落とした先に、本来の自分が還ってくる)をコンセプトに、 マンツーマンの長期伴走コーチングを提供。
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