23年の会社勤めを経て、私が47歳で「自分軸」を掲げて起業した理由

23年間のキャリアを終え、私が「マインド」に辿り着いた理由

 

2025年12月末、私は23年間勤め上げた住友電気工業株式会社を退職しました。

そして2026年1月、株式会社One Life To Liveを設立し、新たな一歩を踏み出しました。

今でこそ「Inner Architectureコーチ」として活動していますが、23年前の私は、今の姿からは想像もつかないほど「自信の欠片もない新人」でした。

大学を卒業する時の成績は、後ろから数えたほうが圧倒的に早い。

自分にはこれといった強みもなく、社会に出るのが怖くて仕方がなかった。

入社1年目、案の定私はミスを連発し、上司や先輩に叱られてばかりの毎日でした。

完全に内向きで、何とかその日を過ごすことに必死の人間だったのです。

「このままでは、社会人として終わってしまう……」

そんな猛烈な危機感の中、転機が訪れました。

当時の先輩がかけてくれた言葉をきっかけに、私はあえて「社外と接する機会が多い」購買部門への異動を志願したのです。

そこからは必死でした。

数えきれないほどの取引先との面談、タフな交渉。

でも場数を踏むたびに、少しずつ、少しずつ「自分でも対外的にやっていけるかもしれない」という小さな自信が、土の中から芽吹くように湧いてきました。

そして入社5年目。

インドネシア駐在の辞令が、私の人生をさらに加速させました。

言葉も文化も違う環境で、マネージャーとして「自分で決めること」、そして「メンバーを育てること」の難しさと喜びを叩き込まれました。

その後、帰国して係長→課長へと昇進していき、さらに大きな規模の仕事を任せていただけるようになりました。

素晴らしいメンバーにも恵まれ、やりがいを感じる日々。

23年間の会社員生活で私が学んだのは、スキル以上に「一人ではない」「周りへの感謝」「やりきる」というマインドの力でした。

今の私を形作っているのは、間違いなく住友電工という素晴らしい環境で積み上げた、何一つ無駄のない経験です。

綺麗事でも何でもなく、本当に感謝の言葉しかありません。

 

 

順調なはずの日常に、なぜ「違和感」を感じるのか

 

キャリアは順調。家庭では子供も産まれ、側から見れば「理想的な人生」に見えていたかもしれ ません。

しかし、40歳を過ぎた頃から、私の心の中に正体不明の「違和感」が広がり始めました。

それは、決して胃の調子がおかしいわけでもないのに、何となく消化不良が起きているような感覚です。

30代後半から50代にかけて、私たちビジネスパーソンは多くの「役割」を背負います。

会社では「課長なら、部長なら、こう振る舞うべき」。

家庭では「父親なら、夫なら、こうあるべき」。

社会では「大人として、一人の社会人として、こうあるべき」

 

これらすべてが「〇〇なら△△すべき」という、肩書きに付随した重圧とのセットでした。

他者の期待に応えることは得意になりました。

でも、ふと立ち止まった時に自分に問うてしまったのです。

「……で、自分自身はどう生きたいんだっけ?」

 

そんな時、私は自らコーチングを受け、並行してグロービス経営大学院でMBA(経営学修士)の取得を目指しました。

そこで出会ったのは、戦略やマーケティングの知識以上に、私を突き動かす「人」「教育」への興味でした。

学んだ理論や経験を組織内に展開してみると、メンバーの目が輝く瞬間に出会える。

人が変わり、組織のエネルギーが変わる。

例え異動により離れ離れになってしまっても、「あの時は○○だったね」と、当時を懐かしく思い出して笑顔で会話ができる。

そのプロセスに、私はこれまでにない心の底からのやりがいを感じたのです。

誰に言われずとも、喜んで引き受ける。

勝手に身体が動き出す。

そのくらいのレベルのやり甲斐です。

「仕事ができるようになること」と、
「人生を自分らしく生きること」は、
決してイコールではない。

その溝を埋めるのは、テクニックではなく「マインド」なのだと確信した瞬間でした。

 

 

「他人軸」は、プロフェッショナルとして生きた証

 

誤解しないでいただきたいのは、私は「会社員として他人の期待に応える生き方」を否定しているわけではない、ということです。

人の価値観・働き方は千差万別であり、そもそも否定すること自体がおかしいです。

それに、仮に否定的な立場であったら、23年間も働いていません。

 

・就職氷河期という厳しい時代に私を拾ってくれた会社への恩。

・何もできなかった私を、根気強く育ててくれた上司や先輩。

・共に汗を流した取引先の皆様。

恩に報いよう、期待を超えようと奔走した日々は、私の誇りです。

その日々は、決して自分を殺して生きてきた「犠牲」の時間ではありません。

 

自分が組織の中でどのような位置付けであり、どうすれば周囲の期待に応えられるか…

それを考えながらやり切る力=「他人軸の完遂」は、プロフェッショナルとして生きた証です。

その強固な土台があるからこそ、今、私は「自分の願い=自分軸」をその上に乗せることができる。

「期待に応える力(他人軸)」に、「自分の本当の願い(自分軸)」が掛け合わさったとき、人は無敵になります。

自分のエネルギーを源泉として、社会に貢献できるようになる。

私は、その両方の軸を回せる人を一人でも増やしたいのです。

 

 

One Life To Live —— 責任を持って「自分」を生きる覚悟

 

社名の「One Life To Live」には、私の個人的で、切実な想いが込められています。

私の父は、45歳という若さでこの世を去りました。

本記事を執筆している2026年2月現在、私は47歳。

気付けば、私は「父が見ることのできなかった世界」を、もう2年も生きています。

「人生には、終わりがある」

これは頭での理解ではなく、私の血肉に刻まれた事実です。

父の年齢を超えたとき、私は強く思いました。

この一度きりの人生、もし明日終わるとしても、私は「やり切った」と言えるだろうか?

私は、自分が最も情熱を感じる「人材育成」の世界に身を置き、第二の社会人人生を歩むことを決めました。

安定した場所を飛び出し、自分の足で立つ。

それは、自分の人生に、誰のせいにもしない責任を持つという宣言です。

コーチングとは、私があなたに「答え」を教える場所ではありません。

答えは、最初からあなたの中にあります。

でも、日々の役割や重圧に埋もれて、見えなくなっているだけ。

それを一緒に掘り起こし、言葉にし、磨き上げる。

「これは、私が選んだ人生だ」

そう胸を張って言えるようになるための、戻る場所でありたい。

それが「One Life To Live」の存在意義です。

 

 

2026年、丙午。この変革の時代に、共に歩み出す皆様へ

 

1978年生まれの私は、2026年の今年に4回目の年男を迎えます。

「丙午(ひのえうま)」の年は、60年に一度の、非常に強いエネルギーが巡る年だと言われています。

情熱、前進、そして激動。このタイミングで私が起業したのは、単なる偶然ではないと感じています。

世の中には、転職をしたり、資格を取ったり、副業を始めたりして、現状を変えようとする人がたくさんいます。

しかし、どれだけ「外側」の環境を変えても、同じ壁にぶつかり、同じ悩みを繰り返してしまうケースが後を絶ちません。

なぜか。それは、選択の土台となる「マインド(無意識の前提)」が変わっていないからです。

自分の思考の癖を知り、自分を縛っている前提を書き換える。

「自分ならではの人生」を描き、その道へ進む勇気を手に入れる。

私は、Inner Architectureを中心とした発信とコーチングを通じて、皆様が「自分軸」を創り上げるプロセスに伴走します。

これからの時代、正解はどこにもありません。

だからこそ、自分自身が「正解」になっていく必要があるのです。

一度きりの人生。

他人軸で生きてきたステージから、自分の意思で世界を描くステージへ。

株式会社One Life To Liveは、その決意とともに、ここから始まります。

あなたの挑戦を、私に一番近くで応援させてください。

橋爪 慶明|Inner Architectureコーチ

住友電気工業で23年間勤務後、47歳で独立。 グロービス経営大学院を首席(1,000名中1位)で卒業。 Inner Architecure(削ぎ落とした先に、本来の自分が還ってくる)をコンセプトに、 マンツーマンの長期伴走コーチングを提供。

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